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セシウム原子の共鳴を利用した新たな電磁波計測技術を開発【産総研】
2016年7月11日
セシウム原子の共鳴を利用した新たな電磁波計測技術を開発
-アンテナを使わずに電磁波の強度を測定-
ポイント
● セシウム原子の共鳴による遷移振動(ラビ振動)を利用して電磁波の強度を計測する技術を開発
● 通常のアンテナでは困難な、局所的な電磁波強度を高精度に測定可能
● 電磁環境測定(EMC試験)の高度化や空間電磁界の可視化への応用に期待
概要
国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)物理計測標準研究部門【研究部門長 中村 安宏】高周波標準研究グループ 木下 基 主任研究員、電磁界標準研究グループ 石居 正典 主任研究員は、セシウム原子の共鳴現象を利用して電磁波の強度を測定する技術を開発した。
セシウム原子は9.2GHzの周波数の電磁波を受けると、電磁波に共鳴する2つのエネルギー状態の間で周期的に遷移を繰り返す。この遷移の繰り返しはラビ振動と呼ばれ、その周波数は受けた電磁波の強度に比例する。この現象を利用すると、アンテナを使わないでも、電磁波の強度をラビ振動の周波数から求めることができる。産総研では、セシウムガスをガラスセルに封入し、電磁波によって生じるセシウム原子のラビ振動を、レーザーで高精度に測定する、新たな電磁波強度の計測技術を開発した。
今回開発した技術では、セシウムガスを封入するガラスセルを小型にできるため、測定する電磁波の波長以下の1cm程度の局所的な強度測定ができ、空間分解能の高い電磁波強度計測が可能となる。これは、通常のアンテナによる計測では実現が困難であった。また、レーザーでラビ振動を測定するため、離れた場所からワイヤレスで測定できる。今回開発した技術により電磁波の強度分布を正確に測定することで、電磁環境測定(EMC試験)の高度化や空間電磁界の可視化など、新たな応用が期待される。また、今後さらに普及するであろう電気自動車や通信機器などの安全への貢献が期待される。
なお、この技術の詳細は、2016年7月13日にカナダで開催されるConference on Precision Electromagnetic Measurements 2016(CPEM2016)において発表される。
開発の社会的背景
近年、電気自動車や通信機器などの普及に伴い、電子機器の数は増加の一途をたどっている。一方、これらの電子機器から不要な電磁波が放射され、お互いに悪影響を及ぼし合う可能性が問題視されている。このため、多数の電子機器を安全に使用するためには、機器周辺の電磁波環境を正確に把握し、不要な電磁波の放射を避けたり、電磁波の影響を受けにくくしたりするといった対策が必要である。しかし、従来の電磁波センサーのアンテナは、一般に形状や寸法によって空間分解能が制限されるため、局所的な電磁波環境の詳細な測定は困難であった。
研究の経緯
産総研では、これまでにアンテナなどを用いた従来の方法による電磁波強度の国家標準を確立・管理・供給してきた。今回、世界に先駆けて、アンテナを使わず高い分解能で電磁波強度を測定するため、セシウム原子の共鳴現象を利用した新たな技術開発に取り組んだ。
なお、本研究開発は、独立行政法人 日本学術振興会(JSPS)の科学研究費助成事業「量子力学に基づいた高周波磁界測定」(平成26~27年度)、「Cs原子を用いたMHz帯量子磁界センサの研究開発」(平成28~30年度)による支援を受けて行った。
研究の内容
原子は特定の周波数の電磁波を受けると、電磁波に共鳴する2つのエネルギー状態の間で遷移を繰り返す。この現象はラビ振動と呼ばれ、その周波数はラビ周波数と呼ばれている。ラビ周波数と電磁波の強度とは比例関係にあり、その比例定数は原子の構造や基礎物理定数で決まるため、測定者や時期に依存しない。この性質を利用すると、電磁波の強度を、アンテナを用いずにラビ周波数の測定から求めることができる。
図1に今回開発した電磁波強度の測定技術の原理を示す。電磁波を受けてラビ振動するセシウム原子にレーザーを当て、その透過光の変調成分として現れるラビ周波数を検出する。このラビ周波数から電磁波強度を算出する。実際の測定では、セシウムガスを封入した小型ガラスセルを測定したい位置に置き、検出用レーザーで高精度にラビ周波数を測定すると、ガラスセルの位置での電磁波強度が算出できる。
図2は、強度のわかっている電磁波をガラスセルに照射してラビ周波数を測定した結果である。電磁波の強度とラビ周波数は、量子力学に基づく理論通りに比例しており、セシウム原子のラビ周波数を測ることで、電磁波強度を測定できることが確認できた。
図3左は、電磁波源から放射される電磁波の強度分布を測定した様子である。電磁波源の前面にガラスセルを置き、その位置を変えながら測定した。検出用レーザーには、半導体レーザーを用いて、ガラスセルの移動する向きと平行な方向から照射した。測定した電磁波強度の空間分布を図3右に示す。この測定では、1cmの空間分解能で測定できた。
今回開発した測定技術では、ガラスセルに封入したセシウムガスが電磁波のセンサーとなるため、一般的な電磁波測定に使われるようなアンテナを必要としない。また、ラビ周波数の測定にはレーザーを用いるため、金属ケーブルや光ファイバーなども不要で、離れた場所からのワイヤレス測定が可能である。なお、検出用レーザーは微弱であるため、ラビ周波数の測定に影響は与えない。さらに、ガラスセルは小型にできるため、通常のアンテナによる電磁波強度の計測では不可能な局所的な測定ができ、高い空間分解能で電磁波強度を計測できる。
図3 電磁波源から放射された電磁波の強度分布の測定の様子と測定結果
今後の予定
今回は9.2GHzの周波数の電磁波において、開発した測定技術を実証したが、今後はセシウム原子の中に多数存在するエネルギー状態から、電磁波に共鳴する2つのエネルギー状態を適切に選ぶことで、測定できる電磁波の周波数の範囲を大幅に増やす。また、測定精度や空間分解能のさらなる向上を目指す。
用語の説明
◆ セシウム原子
原子番号55番で、アルカリ金属に属する元素である。今回開発した測定技術では、原子時計などにも利用されている、安定同位体のセシウム133を用いた。
◆ エネルギー状態
原子は、自身の構造や周囲の環境によって、ある特定の状態となる。そのとき、原子が持つエネルギーも特定の値となり、それらの中間の値は持つことはできない。この特定の値を持つ状態をエネルギー状態という。
◆ラビ振動、ラビ周波数
電磁波によって原子や分子のエネルギー状態が遷移を繰り返すことをラビ振動といい、その振動数をラビ周波数と言う。ラビ周波数は電磁波の強度に比例する。
◆ 空間分解能
近距離にある2つの点を、それぞれ空間的に別の点として識別できる能力のことで、識別可能な最小の距離で表す。
◆ 電磁環境測定(EMC試験)
電子機器や通信システムが、ノイズとなる電磁波を放射して他の電子機器や通信システムに悪影響を与えたり、反対に他の電子機器や通信システムから発生した電磁波によって悪影響を受けたりすることがないことを調べる測定や試験のこと。
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