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“ダカールの鉄人”菅原義正のダカール・ラリー引退について【日野自動車】
2019年4月23日
“ダカールの鉄人”菅原義正のダカール・ラリー引退について
日本レーシングマネージメント株式会社(本社:東京都渋谷区、代表:菅原照仁、以下JRM)と、日野自動車株式会社(本社:東京都日野市、社長:下義生、以下日野)は、JRMの会長であり、1983年のダカール・ラリー初参戦※1以来、連続出場記録を更新し続けてきた菅原義正がダカール・ラリーからの引退を決めたことをお知らせいたします。また、JRMと日野で構成されるダカール・ラリー共同参戦チーム「日野チームスガワラ」の代表からも退き、後任はJRMの代表である菅原照仁が務めます。
チームのトレードマークである鯉のぼりとともに駆け抜けた “ダカールの鉄人”菅原義正は、ダカール・ラリー世界最多連続出場 36回・世界最多連続完走 20回という前人未到の記録を持ち、その功績はギネス世界記録®に認定※2されています。長年にわたる皆様からの熱いご声援まことにありがとうございました。
■菅原義正のコメント
「私のダカール・ラリーへの挑戦は、2019年1月の大会をもって最後とし、後進に道を譲ることとしました。チーム代表を息子の照仁に譲り、新たなドライバーの人選も任せます。
ダカール・ラリーには1983年から、日野自動車とは1992年から協力して参戦してきました。壮大なスケールでレースをしながら旅することにロマンを感じ、さまざまな人や文化に触れるたび魅力に取りつかれ、毎年、”ゴールはスタートと捉え、次のラリーへの準備をする” ことを続けてきたら36年経っていました。これまで続けてこられたのは皆様の応援があったからこそであり、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
ダカール・ラリーからは引退しますが、私のキャリアを終わらせるつもりはなく、今後も様々なチャレンジを続けていきたいと思っています。照仁が率いる新チーム、そして私の今後の活動についても、応援いただければ大変嬉しく思います。」
■日野自動車 下義生のコメント
「多くの人に勇気を与えた菅原義正氏のダカール・ラリーへの挑戦に心から敬意を表します。義正さんご本人から、そして義正さんと参戦したダカール・ラリーを通じて、多くのことを学びました。中でも、現地で感じた「人財育成」や「チームの大切さ」は特に心に刻まれ、日野の企業文化に浸透させるべきであると改めて考えさせられました。
義正さんのチャレンジスピリットを胸に、チームの新代表である菅原照仁氏と、ダカール・ラリーへの挑戦を続けてまいります。」
※1 当時の名称は「パリ・ダカールラリー」。二輪部門への参加。
※2 2019年4月23日時点。ギネス世界記録®はギネスワールドレコーズリミテッドの登録商標です。
【ダカール・ラリー1997】 日野レンジャーを駆って激走する菅原義正(写真左)
ビバークにてトレードマークである鯉のぼりを掲げる菅原義正(写真右)
【ダカール・ラリー2001】総合準優勝を飾り、ゴールセレモニーで鯉のぼりを掲げて声援に応える菅原義正
【ダカール・ラリー2019】 ゴールセレモニー会場にて(写真右:菅原義正、左:下義生)
■菅原義正 略歴
日本レーシングマネージメント株式会社 取締役会長
1941年5月31日生まれ、北海道小樽市出身
多数の国内レース出場経験、サハラ砂漠横断などの冒険行を経て1983年(41歳)にオートバイでパリ・ダカールラリーに初出場。以来、4輪部門出場7回を経て1992年より日野レンジャーで参戦。トラック部門総合準優勝6回、排気量10リットル未満クラス優勝7回の実績を持つ。ダカール・ラリー世界最多連続出場 36回・世界最多連続完走 20回の記録はギネス世界記録®に認定されている。
■菅原義正 ダカール参戦実績 (2019年1月時点)
連続出場 36回 / 全部門での合計完走 29回 / 二輪・四輪・トラックの3部門に出場
出場・完走回数と完走率(競技部門)
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