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元素の識別が可能な大視野・高分解能X線顕微鏡を開発【理化学研究所】
2011年9月28日
本研究成果のポイント
• 電子顕微鏡では観察の困難な厚い試料内部の電子密度分布および特定元素の分布を可視化
• 10ナノメートルから10マイクロメートルまでの空間スケールをシームレスに観察
大阪大学大学院工学研究科の高橋幸生准教授、名古屋大学大学院工学研究科の是津信行准教授、理化学研究所播磨研究所放射光科学総合研究センター(石川哲也センター長)の石川哲也主任研究員らのグループは、物質中の電子密度分布および特定元素の分布を大視野かつ高空間分解能で観察することのできるX線顕微鏡を開発しました。
ナノテクノロジーやナノサイエンスの進展には、様々な空間分解能で物質の構造・元素分布を評価する手法が欠かせません。今回、研究グループは、大型放射光施設SPring-8*1の理研物理科学IビームラインBL29XULにおいて、10ナノメートル( nm:10億分の1メートル)から10マイクロメートル( µm:100万分の1メートル)までの空間スケールをシームレスに観察できるX線顕微鏡(元素識別X線タイコグラフィー)を開発し、一回の測定でサイズ約200nmの数百個の金/銀ナノボックス粒子一つ一つの電子密度分布および金元素の分布を約10nmの分解能で可視化することに成功しました。
この顕微鏡は、超微細粒金属材料や脳神経細胞のように機能性発現の起源解明のためにマルチスケールでの構造・元素分布の解析が不可欠である試料の観察に特に有用です。また、SPring-8の次期計画で議論されている次世代放射光を用いることで、更なる高分解能化・高速化が実現可能であり、例えば、細胞一つの三次元構造を10nmの空間分解能で可視化することも可能で、生命機能の本質的な理解に繋がる研究へと展開できます。
本研究は、文部科学省・日本学術振興会科学研究費補助金の新学術領域研究「バルクナノメタル ~常識を覆す新しい構造材料の科学」(領域代表者:京都大学 辻伸泰)および若手研究A「元素識別コヒーレントX線回折顕微法の確立と金属材料の4Dナノ-メゾ組織解析」(代表者:高橋幸生)の一環として行われました。また、本研究成果は、2011年9月28日(アメリカ東部時間)に米国科学雑誌『Applied Physics Letters』のオンライン版に掲載されます。
(論文)
“Multiscale element mapping of buried structures by ptychographic x-ray diffraction microscopy using anomalous scattering”
Yukio Takahashi, Akihiro Suzuki, Nobuyuki Zettsu, Yoshiki Kohmura, Kazuto Yamauchi, Tetsuya Ishikawa
Applied Physics Letters 99, 131905 (2011), published online 28 September 2011
1. 研究の背景
ナノテクノロジーやナノサイエンスの進展には、物質の構造や元素分布を様々な空間分解能で評価する技術が不可欠です。近年、電子顕微鏡やプローブ顕微鏡技術の発展が目覚ましいですが、これらの顕微鏡では、10マイクロメートル( µm:100万分の1メートル)以上の広い領域に渡って100ナノメートル( nm:10億分の1メートル)以上の厚さをもつ試料の内部を10nmより優れた分解能で非破壊観察することは、難しいとされています。一方、X線をプローブとした顕微鏡は、X線の高い透過性を利用することで厚い試料の観察が行えますが、レンズを作製することが難しいため、空間分解能の点で他の顕微鏡手法に大きな遅れをとってきました。干渉性(コヒーレント)X線散乱と位相回復計算という特殊な計算を利用するコヒーレントX線回折顕微法は、この技術的な問題を回避したレンズを使わない顕微法で、近年、第三世代放射光施設を中心に盛んに研究されています。これまで本研究グループは、大型放射光施設SPring-8の理研物理科学IビームラインBL29XULにおいてX線集光ミラーを駆使した高分解能コヒーレントX線回折顕微法を開発し、10nmより優れた空間分解能を達成してきました(2010年4月学術雑誌「Nano Letters」(出版社:ACS Publications)において発表済み、2010年4月29日プレスリリース)。しかしながら、コヒーレントX線回折顕微法で空間分解能が向上された反面、観察対象とする試料サイズは小さくなり、200nm以下の孤立物体に限定されるという大きな問題がありました。この観察領域が制限されるという問題を解決するのが、走査型コヒーレントX線回折顕微法(通称:X線タイコグラフィー、タイコとはギリシャ語で重なり(πτνξ=fold)を意味します)です。
X線タイコグラフィーでは、X線照射領域が重なるように試料を二次元的に走査し、各点からのコヒーレント回折パターンを測定しますが、試料上の正確な位置にX線を照射しないと、再構成像の空間分解能は低下します。これまで、本研究グループは、高輝度光科学研究センターの大橋治彦副主席研究員、仙波泰徳研究員らと共同で、BL29XULの実験ハッチ内にX線タイコグラフィー測定用の恒温化システムを構築し、温度ドリフトによるX線照射位置エラーを軽減させてきました。加えて、X線照射位置を修正する技術開発にも成功し、10µm以上の視野を10nm以下の空間分解能で観察可能なX線タイコグラフィー法を開発・実証してきました (2011年6月学術雑誌「Physical Review B(出版社:American Physical Society)」において発表済み)。今回、本研究グループは、元素の吸収端近傍のX線異常散乱*2を利用することで、これまでX線タイコグラフィーで観察可能であった試料電子密度分布に加え、特定元素の分布の可視化も行いました。
2. 研究成果の内容
観察試料には、金/銀ナノボックス粒子を用いました。金/銀ナノボックス粒子は、ポリオール還元法によって合成された銀ナノ立方体粒子を塩化金酸溶液中に浸し、銀と塩化金イオン間のガルバニ置換反応によって合成されました。コヒーレントX線回折パターンの測定は、大型放射光施設SPring-8のビームラインBL29XULにて行いました。X線エネルギーを金元素のL3吸収端 (11.920keV)より僅かに低い11.910keV、11.700keVに合わせて、各エネルギーのX線を集光ミラーによって約600nmのスポットに集光しました。そして、窒化ケイ素膜で支持した金/銀ナノ粒子に集光X線を照射しました。試料を500nmステップで光軸垂直方向に二次元的に走査し、各エネルギー、各試料位置において前方方向に観測される散乱X線強度をX線CCD検出器で測定しました(図1)。この時、測定装置は、恒温室内に設置し、温度変化が0.01度以下になるまで安定化させました。さらに、試料中の孤立ナノ粒子を位置基準とすることで、各点での測定後にドリフトによるX線照射位置のずれを修正し、毎回、正確な位置へX線照射を行いました。
金/銀ナノボックス粒子から散乱されたX線による回折パターンは、試料背面の波動場のフーリエ変換の大きさの二乗に比例し、ナノ粒子の微細構造にとても敏感です。しかしながら、この回折パターンには散乱X線の位相情報が含まれていないので、逆フーリエ変換しても粒子の像を得ることはできません。そこで、位相回復計算という特殊な処理を計算機で行うことで、試料像を再構成します。この特殊な計算が、通常の顕微鏡のレンズの役割を担っています。一つのエネルギーの測定で得られる複数の回折パターンから得られる像は、試料をX線入射方向から見た投影像に相当します(図2)。この投影像は、走査型電子顕微鏡像(図2)で得られるコントラストとは異なり、粒子によるX線の位相変化(電子密度分布)を反映しています。このX線タイコグラフィー像のピクセル分解能は8.4nmで観察領域は5µm×5µm以上あります。数百個のナノ粒子と一つのナノロッドが再構成されており、走査型電子顕微鏡では観察できない各粒子の内部の中空構造を鮮明に捉えることができ、ナノロッドが部分的にチューブ構造を有していることが分かります。
さらに、二つのX線エネルギーの再構成像の差分を計算すると金元素のみの再構成像が導出されます(図3)。これは、選択した二つのX線エネルギーにおいて金元素のX線異常分散項の実部の値が大きく異なるからです。金元素を反映したこの差分像を見ると、粒子の表面に金元素が局在していることが分かります。また、粒子一つの断面から、粒子の壁の幅を調べたところ、表面から20nm程度の領域まで、金は多く含まれていることが明らかとなりました。これまでの研究では、同様の金属ナノ粒子で、単層の金-銀合金の存在が示唆されていましたが、今回の結果から、銀の多く含まれる領域と金の多く含まれる領域とで二層に分かれている可能性があることが分かりました。
3. 今後の展開
ナノメートルからマイクロメートルにおよぶ広い空間スケールをカバーする本顕微鏡は、今後、さまざまな試料観察への応用が期待されます。例えば、超微細粒金属材料の特異な力学特性や脳神経細胞のネットワーク構造など、マルチスケールでの構造がその機能性と密接に関係している金属材料および生体物質の構造・物性研究に応用できます。現状では、コヒーレントX線の強度が十分でないため、回折パターンを取得するのに10時間程度要しますが、現在検討されているSPring-8の次期計画で実現する高性能放射光源により、測定時間の短縮が期待できます。それにより、例えば、100µmの大きさの細胞一つを10nmの分解能で三次元観察することも夢ではないかもしれません。また、SPring-8での測定では、観察の空間分解能は究極的には、試料損傷によって制限されてしまいます。しかしながら、X線自由電子レーザー施設SACLA*3を用いたシングルショットイメージングにより、試料が壊れる前の測定が可能になり、試料損傷による限界を大きく凌駕する分解能が得られると期待されています。この場合、細胞であれば、細胞小器官一つのサブナノメートルイメージングおよびダイナミクスの研究が実現します。このように、SPring-8とSACLAの相補利用により、観察対象の空間スケールの幅を広げ、さらに時間スケールも広げることで、マルチスケールでの時空間イメージングが実現することが期待されています。
補足説明
*1 大型放射光施設SPring-8
大型放射光施設SPring-8理化学研究所が所有する、兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高輝度の放射光を生み出す施設。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8 GeVに由来する。放射光(シンクロトロン放射光)とは、荷電粒子が磁場の中で曲がる際に放射される光の一種。SPring-8では、周回する電子群のサイズが小さいことや高い安定性のため、干渉性の優れたX線が得られる。
*2 X線異常散乱
X線のエネルギーが内核電子の結合エネルギーに近いとき、すなわち吸収端近傍では共鳴効果に基づく異常分散が生じ、このとき弾性散乱は特に異常散乱と呼ばれる。この場合、もとの原子散乱因子fに異常分散項f’+if”が加わる。
*3 X線自由電子レーザー施設SACLA
完全な干渉性をもつ次世代のX線発生装置。日本では、理研が財団法人高輝度光科学研究センターと協力して、SPring-8キャンパス内に建設され、2011年3月に施設を完成、愛称は「SACLA」と名付けられた。そして、2011年6月に当時の世界最短波長(1.2Å)となるX線レーザーの発振に成功した。
参考資料
図1. 元素識別X線タイコグラフィーの概念図
集光ミラーによって放射光X線を数百ナノメートルのスポットに集光し、その焦点面に試料(金/銀ナノボックス粒子)を配置する。試料を二次元的に走査し、各点で前方方向に弾性散乱するX線強度の分布(コヒーレント回折パターン)をX線CCD検出器で測定する。なお、X線エネルギーを特定元素の吸収端下の二つのエネルギーに合わせ、それぞれのX線エネルギーで、コヒーレント回折パターンの測定を行う。そして、コヒーレント回折パターンに位相回復計算を実行し、試料の電子密度分布像を導出する。さらに、二つのエネルギーの電子密度分布像の差分を計算することにより、吸収端に選んだ元素分布像を抽出する。
図2. 金/銀ナノボックス粒子のX線タイコグラフィー像および走査型電子顕微鏡像
X線タイコグラフィーでは、数百個の金/銀ナノボックス粒子およびナノロッド内部の中空構造を鮮明に観察でき、位相シフト量(電子密度分布)が定量化される。X線タイコグラフィー像のピクセルサイズは8.4nmである。一方、走査型電子顕微鏡像では、表面のみの情報で内部の構造を観察することができない。
図3. X線エネルギーが11.70keVおよび11.91keVの際の金/銀ナノボックス粒子のX線タイコグラフィー像
およびその差分像(元素識別X線タイコグラフィー像)と一つの粒子の断面プロファイル
金元素のL3吸収端(11.920keV)の下のエネルギーで金の異常分散項の実部が大きく異なる二つのエネルギーで測定を行うと、X線タイコグラフィー像の差分像が金元素のコントラストとなる。各粒子の表面に金が局在していることが分かる。
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