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「ボルボ240」、誕生から40周年を迎える【ボルボ・カー・ジャパン】
2014年8月18日
ボルボ240は、約40年前の1974年8月21日に初めてメディア公開され、その後19年間で約280万台製造されるなど、ボルボ史上、最大の成功を収めたモデルとなりました。
ボルボ240が誕生した1974年は、スウェーデンがいくつもの快挙を遂げた年でした。春にはポップグループ「ABBA」が「恋のウォータールー」でユーロビジョン・ソング・コンテストに優勝し、18歳のテニスプレーヤー「ビョルン・ボルグ」が全仏オープンで優勝し、そしてボルボからは後に大変重要なモデルとなる240が発表されました。
1974年8月21日、初のプレス試乗会が行われ、ボルボ本社があるトースランダからボーレンゲという小さな街へチャーター機で移動したジャーナリストは、空港に244GLがずらりと並ぶ光景を目にしました。そこにあった全車両のボディーカラーは当時ポピュラーだったオレンジで、内装まで同色でまとめられていました。
240は、140シリーズをベースに大幅な変更を加えて開発されました。画期的だったのは主にフロント周りで、外観デザインはその2年前に発表されたVESC実験安全車から影響を受けてデザインされたものでした。大型バンパーを装着し、全長は140シリーズよりも13センチも長いものでした。特徴的な格子のヘッドレストも、新規採用された装備の1つでした。
エンジンは、新たに開発されたB21で、キャブレター仕様97馬力、燃料噴射仕様123馬力の2仕様が用意され、フロント周りは、マクファーソン・ストラット式サスペンションとラック・アンド・ピニオン方式のステアリングを採用しました。
1974年10月には、高級モデルである260シリーズの生産が始まり、DLモデルとGLモデルの2タイプが発売されました。264には、新型の2.7リッター、140馬力のV型6気筒エンジンB27が搭載されました。これは、ボルボ、ルノー、プジョーが共同開発し、フランス北部のドゥヴランで製造されたエンジンでした。
240は、そのモデルライフの間で、様々な仕様のエンジンが搭載されました。フォルクスワーゲンと共同開発した6気筒のディーゼルエンジンを搭載したモデルが、1979年モデルとしてデビューしました。一部の市場向けには、5気筒ディーゼルエンジンも用意されました。1981年モデルでは155馬力の244ターボが登場しました。後にガソリンターボエンジンを搭載する初のエステート、245ターボワゴンが追加され、大旋風を巻き起こしました。
240は、他にもさまざまな派生モデルが製造されました。2ドア、4ドア、5ドアのモデルに加え、1977年から1981年にかけて、イタリアのベルトーネ社が製造を手掛けた262Cクーペが合計6,622台生産されました。さらに、全長が70センチ延長された264TEと245Tが製造されました。264TE(トップエグゼクティブ)は豪華なリムジンタイプ、245T(トランスファー)は大型のエステートで、地方ではスクールバスとして使われるなど、さまざまな用途に使用されました。
1976年秋には、世界で初めて環境性能を特徴として打ち出したモデルを発表。三元触媒コンバーターとラムダセンサーを採用した200シリーズが、カリフォルニアに初輸出されました。ラムダセンサーと触媒コンバーターで炭化水素、一酸化炭素、窒素酸化物などの有害物質の排出を90パーセント削減し、1977年には、アメリカのNational Environmental Industry Awardを受賞。また、1978年には、カリフォルニア大気資源局(CARB)から、全米一クリーンな車と認定されました。
240ターボは、レーシングカーとしても成功を収め、1985年には、トマス・リンドストロームとジャンフランコ・ブランカテッリが、ヨーロッパツーリングカー選手権(ETC)で優勝するというビッグタイトルを獲得しました。
240/260は、安全性でも様々な賞を受賞しました。1976年にはイギリスで交通の安全性への取り組みと、法基準よりも高い安全設計が認められ、ドン・セーフティ・トロフィーを受賞。また同年に、240はNHTSA(米国高速道路安全局)より、継続的な安全性取り組みの標準モデルとして選ばれています。1980年代後半の4年間、240エステートは、アメリカの高速道路損失データ協会(HLDI)によって同サイズモデル中、アメリカで一番安全な車と認定されました。
240は近年コレクターの間で人気のモデルであり、特にターボモデルはファンの間で人気が高く、コンディションの良いものは、年々価格が上昇しています。スペアパーツの入手も容易で、現在も多くの部品がボルボから購入可能であり、新規に再生産される部品の種類も増えています。
240は、スウェーデンのカルマル、ベルギーのゲントでも生産されていましたが、1993年5月5日、最後の車両がイェーテボリのトースランダ工場の生産ラインを後にしました。ボルボ240は、生産がスタートした19年前には誰も予想しなかったほど長寿のモデルとなりました。
最後の240が顧客に納車される際には特別な式典が開かれ、当時のボルボ社のCEO、ペール. G. ジレンハマーが自ら車のキーを顧客に手渡しました。特別仕様の240を社用車として愛用していたジレンハマーは式典の中で、「世界一安全で、価値のある車であり、既に『生きる伝説』となっている。今後も高い価値を持ち続ける車の一台になるだろう」と述べました。
ボルボ200シリーズは、1974年から1993年までの期間、ボルボ240が268万5,171台、ボルボ260が17万7,402台、合計286万2,573台が生産されました。この数字は、ボルボがこれまで生産してきた各モデルの中で最大です。
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