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Audi quattroモデルの累計生産500万台を達成【アウディ ジャパン】
2013年2月27日
● アウディが誇るフルタイム四輪駆動システム搭載モデルの生産500万台目がロールオフ
● 市販モデルならびにモータースポーツシーンで大成功を収めてきた33年間の軌跡
2013年2月25日は、AUDI AGにとって非常に特別な記念日となりました。アウディが誇るquattro(クワトロ)システム搭載モデルの生産累計が500万台に達しました。記念すべき500万台目となったのは、ホワイトのAudi A6 allroad 3.0TDIで、この日、ネッカーズルム工場をラインオフしました。この大記録の達成は、アウディがフルタイム四輪駆動システム開発のパイオニアであり、長年に渡りこのジャンルで主役的立場を守り抜いて来た証拠であると言えるでしょう。世界中で、およそ140を超えるモデルにこのシステムを搭載し、これほど多くのフルタイム四輪駆動モデルの販売を成し遂げたプレミアムブランドは、アウディを除いて他にはありません。
今や伝説となった初代quattroシステム搭載モデルは、1980年に誕生しました。その後は数多くのボディタイプ、エンジンと組み合わされ、システムが搭載されたモデル数は140を超えています。現在のアウディは、Audi R8、A4 allroad、A6 allroadに加え、すべてのQ, SおよびRSモデルにquattroシステムを搭載しているに留まらず、他のすべてのモデルにオプションとして装備を可能としており、世界でもっとも幅広いレンジでフルタイム四輪駆動システムを提供するメーカーとなっています。
AUDI AG取締役会会長のルパート シュタートラ―は「quattroは我々のブランドにおける重要な柱のひとつであり、我が社が歩んだ成功の歴史における非常に重要な位置を占める要素です。quattroフルタイム四輪駆動は、我々が掲げるVorsprung durch Technik (技術による先進)をダイレクトに体感させてくれます。我々は、このシステムのパイオニアであることを自覚し、今後も積極的に最新技術を取り入れて、このシステムをさらに優れたものにする研究開発を続けます」とコメントしています。
quattroは今や、単なる技術の枠を越え、象徴にまで進化しました。その名は、安全かつスポーティなドライビング、技術的能力の高さ、そして、条件の悪い路面コンディションであったとしても果敢に乗り越えるダイナミックな姿勢を象徴しています。市販モデルならびにモータースポーツでのquattroの大成功は、今や伝説となった1986年に放映された Audi 100CSが自力でフィンランド・カピロラスキー場のジャンプ台を登るテレビCMで決定付けられました。
quattroと言えばアウディであり、アウディの名もしばしばquattroと同義としてとらえられています。2012年には、全世界で販売された全モデルのうち43%以上がquattro搭載モデルとなり、quattroモデルの販売比率が最大となる記録を打ち立てました。その年にもっとも多く販売されたのは Audi Q5で、販売台数は20万5600台でした。だからと言って、決してSUVオーナーの方々にだけquattroが支持されたわけではありません。この年には、他の全モデルでもおよそ4台に1台の割り合いで、quattroモデルが選ばれていました。quattro搭載モデルは日本をはじめとしてアメリカ、カナダ、ロシア、そして中東のマーケットから特に高い支持を頂いています。記録を達成した2012年は、ドイツ国内だけでも他メーカーの四輪駆動モデルを圧倒する9万9800台のquattro搭載モデルが販売されています。
500万台目の記録達成モデルをラインオフすることとなったネッカーズルム工場にとっては、quattroは特に重要な要素です。同工場で生産されるアウディのうち、2台に1台以上がquattro搭載モデルとなっているからです。
ハイパフォーマンスモデルRSやR8はAUDI AGの子会社、quattro GmbH社によって生産されています。お客様は同社が提供するパーツを購入、特別オーダーすることで、自身のアウディを自在にカスタマイズすることが出来ます。過去30年以上の歴史を持つquattro GmbH社は今や、従業員800人を超える規模にまで成長しました。
Audi quattro その技術
その多彩なモデルラインナップによって、アウディは非常に幅広いコンセプトを提供しています。もちろん、quattroシステムも幅広いモデルに搭載されています。quattroシステムには、各々のモデルが持つ個性豊かなコンセプトに合わせるための、数多くのソリューションが存在します。
エンジンを横置き搭載する Audi A3、Q3、TTにquattroシステムを組み込むにあたっては、油圧アクチュエータと組み合わせた電子制御式マルチプレートクラッチを採用しています。重量配分の最適化を考慮し、このユニットはリアアクスルに搭載されています。通常走行時、このクラッチはエンジンパワーのほぼすべてをフロントホイールに供給しています。しかし、フロントホイールにスリップが発生した場合、クラッチは自動的に最大100%のトルクをリアホイールに供給します。新型Audi A3では、このマルチプレートクラッチがさらなる進化を遂げています。
エンジンが車両中央に縦置き搭載されているアウディのほとんどのモデルでは、完全機械式プラネタリーギアが簡単にトルクを配分する、セルフロッキング・センターディファレンシャルを採用しています。通常走行時、このデフはエンジントルクを前後40:60の比率で配分します。必要が生じた場合、デフは自動的に配分比率を変え、より多くのトルクをトラクションが多く発生している方のアクスルに配分します。トルク配分は、ブレーキシステムから検出されるホイールスピードの極わずかの差によって計算され、最適なトルクが適切なアクスルに供給されます。 Audi Q7では、この従来方式を継承しながらも、ユニットをトランスファーケースに配置する、特別な方式を採用しています。
Audi RS4 Avant、RS5 Coupé、RS5 Cabrioletには、センターデフシステムの最新バージョンが採用されています。内部に組み込まれたギアの形状からクラウンギア式と名付けられた、非常に高速でスムーズに作動する軽量コンパクトなセンターデフが搭載されています。このデフは必要に応じて、エンジントルクの最大85%までをフロントに、または最大70%までをリアに配分します。アウディの従来型のセンターデフと比べた場合にリアに配分するトルクの比率が多いため、スポーティなデフとして位置づけられています。
エンジンがミッドシップに搭載されるAudi R8には、専用のquattroシステムが採用されています。Audi R8には、状況に応じて15〜30%のトルクをフロントに配分するビスカスカップリングを使用しています。フロントアクスルに装着されたこのカップリングは、トランスミッションを介してエンジンパワーを伝えるプロペラシャフトからのトルクによって作動します。
Audi quattro その歴史
長年に渡るquattroシステムの研究開発を通じて、アウディは世界に先駆けて乗用車にフルタイム四輪駆動システムを採用する自動車メーカーとなりました。その起源は1976-77年の冬にまで遡ります。その年、アウディのエンジニア達は、テストドライバーを伴って雪深いスウェーデンに向かいました。そのメンバーであったアン イルティスは、雪上走行では、わずか55kW(75hp)しかない小さなオフロードモデルの方が、アウディが開発したよりハイパワーなFF式プロトタイプカーよりスムーズに走ることを確認するために向かったのです。その数週間後、当時アウディ技術部門の取締役であったDr. フェルディナンド ピエヒ率いる少数のエンジニアグループが、四輪駆動モデルの開発をスタートさせました。
quattroシステムを実現するためにアウディが生みだした革新的なアイデアは、トランスミッション内部に組み込まれ、エンジンパワーを異なる2方向に向けて出力することを可能にした “ホローシャフト”の発明でした。このシャフトはまず、センターディファレンシャルを回転させます。これによって、エンジンが発生するトルクの半分が、ホローシャフト内部にあるセカンダリーシャフトの回転を通じて、フロントアクスルに出力されます。ホローシャフトの誕生により、それまでの様に複数のプロペラシャフトや重いトランスファーケースを必要とせず、軽量かつコンパクトで、余分な張力を生まずに燃費も良いシステムが完成しました。このquattroシステムの原理は、特にスポーティカーへの使用に適していたため、アウディは量産を決意するに至りました。
この革新的新技術は、147kW(200hp)エンジン搭載のクーペAudi quattroに搭載され、1980年のジュネーブ国際モーターショーで輝かしいデビューを飾りました。この初代モデルは、発表当初は少数生産でしたが、その後に幾度もの改良を経て、1991年まで生産が継続されました。その一方でアウディは、1984年に225kW(306hp)エンジンを搭載したショートホイールベースのコンパクトスポーツquattroを発表しています。
1986年にアウディは、トルセン デフを使用した、第一世代のマニュアルロッキング センターデフシステムを登場させました。ウォームギアを使用したこのシステムでは、より広い範囲でのトルク配分比を実現しています。その次の大きな改革は、2005年にプラネタリーギアを採用したシステムを登場させたことです。この方式では、エンジンパワーのトルクをよりダイナミックかつ自在に配分することが可能になりました。
技術開発が進むにつれ、アウディはquattroシステム搭載モデルのラインナップを増強してきました。すでに80年代の時点で、アウディはすべてのモデルにquattroシステムを搭載すると決定していました。それ以降に登場した新型モデルはすべて、アウディがプレミアムセグメントの中で確固たる地位を築き上げる過程で重要な役割を果たしてきたと言えます。1993年に発表された最初のTDI(直噴ディーゼル)エンジン搭載モデルは、やはりquattroシステムと組み合わされて登場し、その4年後から順次コンパクトモデル拡大されています。
Audi quattro モータースポーツでの活躍
1981年にアウディはquattroを伴って、世界選手権で世界に大旋風を巻き起こしました。その年のモンテカルロラリーで、フィンランド人ドライバー・ハンヌ ミッコラが、6つにおよぶ雪上スペシャルステージでトップタイムを叩き出したのです。その時、彼は総合でおよそ6分ものアドバンテージを保っていたものの、わずかな壁に激突するクラッシュに見舞われ、優勝は逃してしまいました。しかし、翌年の1982年には、同シリーズで7勝を挙げて同年のマニュファクチャラーズチャンピオンに手が届くところまで躍進し、世界中のラリーで向かうところ敵無しの存在となりました。その年、ミッコラがドライバーズタイトルを獲得しています。
1984年シーズンは、衝撃的な幕開けとなりました。新たにチームに加入した、それまで2度の世界チャンピオン獲得経験のあったヴァルター ロールが、チームメイトのスティグ ブロンコヴィスト(スウェーデン)とハンヌ ミッコラを従えて、開幕戦のモンテカルロラリーで、優勝を獲得したのです。その年の終わりに、アウディは初の世界チャンピオンを獲得し、ドライバーズタイトルはブロンコヴィストの頭上に輝きました。その栄冠を生みだしたのは、Sport quattro S1モデルでした。このモデルは、1987年にも偉大な功績を生み出しました。156ものコーナーを一気に駆け抜ける、アメリカ合衆国コロラド州パイクスピークで開催されるヒルクライム大会で、440kW(600hp)を発揮する同モデルを駆ったヴァルター ロールが、それまでのタイムを大幅に更新する新記録を樹立したのです。
その偉業達成の後、数年の時を経て、アウディは活躍の場をツーリングカーレースの世界に移しました。1988年、アメリカのトランザムシリーズに参戦したアウディは、瞬く間にシリーズチャンピオンを獲得しました。その後の1990年には活躍の場をDTMに移し、初参戦の年に、大柄でパワフルなV8 quattroを駆ったハンス シュトックがタイトルを獲得しています。そして1996年には、4気筒2リッターエンジンを搭載したAudi A4スーパーツーリングが、3大陸にまたがる7つの世界選手権に出場し、そのすべてで勝利を獲得しました。
しかしその2年後、ヨーロッパのツーリングカーレースのレギュレーションで四輪駆動モデルの使用が禁じられると、世界中のほぼすべてのツーリングカーで闘うレースに四輪駆動モデルでは参戦出来なくなってしまいました。それまでの間にアウディのquattroモデルは、世界ラリー選手権チャンピオン4回、パイクピークス ヒルクライム大会優勝3回、トランザムシリーズ年間チャンピオン1回、DTM年間チャンピオン2回、国際ツーリングカーレースチャンピオン11回、世界ツーリングカーレースチャンピオン1回を獲得するという、輝かしい成功を収めました。2012年になると、再び四輪駆動モデルがモータースポーツの世界で使用する事が出来ることになりました。それを受けてアウディは、最新技術の粋を集めて開発したAudi R18 e-tron quattroで出場し、初年度にして見事に1-2フィニッシュという素晴らしい成果を獲得しました。
quattroに関するより詳しい情報については、以下のサイトもご参照下さい。
www.audi-quattro-highlights.de または、www.audi-mediaservice.de
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