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初代Audi 80発表から50周年:時代の先駆けとなったベストセラー(ドイツ本国発表資料)

2022年6月16日

  

初代Audi 80発表から50周年:時代の先駆けとなったベストセラー(ドイツ本国発表資料)

  

 1972年 Audi 80発売。「ヨーロッパ カー オブ ザ イヤー」に選出
 ベストセラーモデルとして、後継モデルA4を含む9世代累計で1,250万台以上を生産
 Audi 80は “Vorsprung durch Technik”(技術による先進)がアウディの伝統であることを示す

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(ドイツ本国発表資料)
2022年6月10日、インゴルシュタット:Audi 80は、ドイツBセグメントにおいてシリーズを確立。革新的な技術のパイオニアであり、トレンドセッターであり、アウディブランドにとって最初のミリオンセラーになったモデルです。アウディとフォルクスワーゲン グループにとって、このコンパクトセダンの重要性は極めて明快です。Audi 80はモジュラーデザインの先駆けとなりました。

このベストセラーモデルが発表されてから、今年で50周年を迎えます。社内コード「B1」と呼ばれる初代Audi 80は、1972年に発売されて大きな注目を集めました。高い信頼性を誇るこのモデルは、「モダンではあるが、流行を追わない」デザインを目指して開発されました。この点に関して、アウディで技術開発責任者を務めていたルードヴィヒ クラウスと、1964年に親会社になったフォルクスワーゲンAGは、1960年代後半に合意していました。開発責任者のルードヴィヒ クラウスは、レースカーの製作と同様、長期的な品質、剛性、強度を損なうことなく、どこで重量を削減できるのかを徹底的に検証するために、従業員にすべてのパーツをチェックさせました。その結果、非常に軽量なAudi 80は50年前に、そのスポーティなハンドリングと優れた燃費で高い人気を博しました。そして1973年のオイルショックにより、Audi 80はまさに時代に適したクルマとなりました。同年に「ヨーロッパ カー オブ ザ イヤー」を受賞したAudi 80は、国際的な自動車ジャーナリストからも高い評価を得ています。

AUDI AG技術開発担当 取締役のオリバー ホフマンは、先達ルードヴィヒ クラウスと彼のチームが達成した偉業を称えています。「Audi 80は、非常に印象的な方法で、Vorsprung durch Technik(技術による先進)がアウディの伝統であることを示しました」。Audi 80とその後継モデルは、常に時代をリードするパイオニアとなってきました。4気筒TDI、セルフロッキング センターディファレンシャルを備えたquattroシステム、デュアルクラッチ トランスミッション、リヤアクスル スポーツディファレンシャル、そして言うまでもなく初代RSモデルに搭載された5気筒ターボエンジン等は、Vorsprung durch Technikによるアウディの高度な技術を繰り返し証明してきました。デザイナーのハルトムート ヴァルクスは、1970年代の新しい客観的な手法により、初代Audi 80のデザインをまとめました。ヴァルクスは、1976年に当時のデザイン部門Audi Stilisticsの責任者に就任し、数世代にわたってアウディのB、C、D各セグメントのシリーズモデルの設計に携わり、時代を超越した印象的なデザインを生み出しました。Audi 80は、B1からB4まで4世代にわたって1994/95年まで生産され、その後 社内コード「B5」として知られるAudi A4に名称が引き継がれ、Audi A4はさらに第5世代に渡り進化を続けます。そして「B9」と呼ばれる最新世代には、Sedan、Avant、S、RSモデルに加え、Audi A5のCoupé、Sportback、Cabrioletの各バージョンが用意されています。

1972 – 1978年:初代Audi 80 – 新しいセグメントを創出
初代Audi 80は、ミュンヘン夏季オリンピック開催の年に世界初公開されました。アウディは、1972年7月にこのニューモデルをメディアに発表し、オリンピック開催後の9月から販売を開始しました。社内コード「B1」は、コンパクトセダンまたはBシリーズと呼ばれる新しい市場セグメントを確立しました。新開発されたこのミッドサイズカーにより、当時のアウディブランドのモデルラインナップが完成しました。このモデルのテクノロジーには、数多くの新しいソリューションが採用されており、それらは、間もなくフォルクスワーゲン グループのモデルにも流用されました。

一貫した軽量デザインと革新的技術
2ドアのベースモデルの車重はわずか835kgでした。その当時、アウディの技術開発責任者を務めていたルードヴィヒ クラウスは、開発目標の一つとして、厳格な軽量構造を掲げていました。ホイールベースは2.47m、全長は4.18mと、非常にコンパクトなセダンに仕上げました。サスペンションエンジニアのデトレフ バンホルツァーは、ヨーロッパの市販モデル初のネガティブステアリングロールラジアスを採用しました。これは、ブレーキング時の安定性を大幅に向上させるソリューションです。さらに、X配管式の2系統油圧ブレーキを採用し、乗員および他の道路ユーザーの安全を前面に打ち出しました。リヤサスペンションには、スプリングダンパー付きのトーションクランクアクスル、フロントサスペンションには、マクファーソンストラットおよびウィッシュボーンが採用されました。エンジンは、駆動輪であるフロントアクスルの前に縦置きされ、その後方には4速トランスミッションが搭載されました。市場導入時には、1.3〜1.6リッターの4タイプのエンジンが設定され、出力の範囲は40kW(55PS)~ 74kW(100PS)。パワフルでシンプルな構造の4気筒エンジンのハイライトは、歯付きベルトドライブとメンテナンスフリーの油圧タペットを備えた、オーバーヘッドカムシャフト バルブ駆動システムでした。ルートヴィヒ クラウスは、モジュラー設計の4気筒オーバーヘッドカムシャフト(OHC)エンジンのアイデアを考案。エンジニアのフランツ ハウクと彼のチームによって開発されたこのエンジンは、社内ではEA 827と呼ばれ、フォルクスワーゲン グループでもっとも幅広いモデルに搭載されるエンジンとなりました。

「ヨーロッパ カー オブ ザ イヤー」の受賞と好調なセールス
新世代のOHCエンジンを始めとする数多くの技術的ハイライトにより、Audi 80はすぐに市場での成功を収めました。1978年夏の生産終了までに、100万台以上のB1世代モデルが工場からラインオフされました。インゴルシュタットの工場では生産が追い付かなくなったため、フォルクスワーゲンのウォルフスブルクとエムデンの各工場でも生産が行われました。

1973年には、ジョルジェット ジウジアーロがデザインし、コーチビルダーのカルマンが製造したクーペコンセプトカー Asso di Picche (アッソ・デ・ピッケ)が発表され、B1のスポーティなキャラクターの可能性を示しました。1973年には高出力バージョンのAudi 80 GTが市販され、1975年10月には後継モデルのAudi 80 GTEが発表されました。このモデルの最高出力は81kW(110PS)でした。この新しいトップモデルのドライビングパフォーマンスは、その後すぐにアウディの特徴となるダイナミックな走りを予感させるものでした。1976年のマイナーチェンジで、角型ヘッドライトを採用して、新世代のAudi 100とイメージの統一が図られました。軽量で燃費の良いAudi 80は、特に1973年のオイルショック後に高い人気を博しました。このクルマは、米国でもヒット作となり、Foxという名称で販売されました。

※本リリースは、AUDI AG配信資料の翻訳版です。

  

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