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「ボルボ140」誕生から50周年【ボルボ・カー・ジャパン】
2016年8月16日
ボルボ初のミリオンセラーモデルである、「ボルボ140」は1966年8月17日に発表され、8年間で約125万台を生産。ボルボを自動車メーカーとして飛躍的に成長させるきっかけとなりました。
ボルボ144は、偶然にも、現地で起こったある事件の犯人を警察が追跡する騒動の最中に発表されました。1966年8月17日、スウェーデン・イェーテボリ中心街のホテル、ローレンズバーグのホールに、およそ400人ものジャーナリストが集まりました。そこでホールの可動壁が開き、3台の新しい車が発表されたのです。それまで数年に渡って噂が流れ、待ちかねていたプレス関係者が目にしたのはシンプルで飾らない、そしてモダンなデザインの車でした。ボルボ144は、この印象深いアンベールと同時進行で、オスロ、コペンハーゲン、そしてヘルシンキでも発表されました。
イェーテボリのプレス発表会で使用された車両は巨大な木箱に隠され、クレーンで会場に搬入されました。当然ながら、新車発表会ということで全体の手順は可能な限り秘密にされていましたが、それが困難となってしまいました。警官を殺害した二人の犯人を捕らえるために、大規模な捜索が行われていたためです。全国的に警戒体制がしかれる中で木箱が会場に運び込まれました。実はその時、警察は「二人の逃亡者が隣の映画館にいる可能性があり、映画館からの退避の必要がある」という機密情報をもっていた、というエピソードが残っています。
1960年6月、ボルボはCEOのグナー・エンゲローのディレクションの元、新しいモデルの基本的なコンセプトを決定しました。それは、P660というプロジェクト名が示すように、アマゾンよりも大きいサイズでありながら、重量と価格帯を維持し、厳しい安全基準を満たした上で4〜5人を快適に運ぶ車でした。従来モデルであるPV544やアマゾンと同じホイールベースを採用しましたが、アマゾンが開発された時とは異なり、複数の異なるシャシーバージョンが開発当初から計画されていました。
さらにボルボは140シリーズから、1番目の数字がモデルシリーズ、2番目が気筒数、そして3番目がドア数を表すネーミング体系を導入しました。
話題となった発表会の2日後、1966年8月19日よりボルボ144の量産が開始されました。1967年には2ドアの142が発表され、1968年には145エステートの生産も始まりました。また144と関連が深い164も、1969年モデルとして発表されました。ボルボ164は多くのシャシーコンポーネントを140シリーズと共有していましたが、直列6気筒のB30エンジンを搭載するため、ホイールベースは10cm長く、またフロントノーズも長くなりました。そして1970年には新たなシャシーバージョンとして、ボルボ145エクスプレスが発表されました。145エクスプレスは荷室を広く確保し大量の荷物を運搬できるよう、Bピラーから後方にかけてのルーフが盛り上がったデザインとなっていました。
チーフデザイナーのヤン・ウィルスガールドは、アマゾンのエレガントなラインを誕生させたキーマンであり、144にも似通ったラインが見受けられます。また、彼はアマゾンを連想させるグリルデザインに対しても強くこだわりました。サイドウィンドウ下の広がったショルダーもアマゾンと似通ったものとなっていました。また、アマゾンと同様のバーティカルテールライトも142と155に採用されました。
140シリーズは機能を優先しながらも、1960年代モデルとしての理想形にうまく適合していました。広々としたインテリアと大きな窓をもち、クリーンでシンプルなラインで構成されたスカンジナビアンデザインは、今でもポピュラーなものとして継承されており、140シリーズはその一つの体現ともいえます。
140シリーズはパッシブ・セーフティとアクティブ・セーフティの両方において、いくつかの重要な先進的安全性を備えていました。シャシーはねじり剛性が高く、クランプルゾーンとプロテクテクティブ・ロールケージを保持していました。また、ブレーキシステムは、フロントのツインハイドロリックサーキットと、デュアルサーキットシステムディスクブレーキにより、フロント、リヤ共に高い性能を誇っていました。この3系統を確保したシステムにより、一つの系統が故障しても、フロントとリアの一つのブレーキは効くようになっていました。更に、ボルボによって初めて採用された、急ブレーキ時のホイールのロッキングを防ぐリデューシングバルブも追加されました。その他にもスプリットステアリングコラム、コリジョンプロテクテッドダッシュボードを始め、ヘッドレスト、巻き上げ式シートベルト、シートベルトリマインダーといった装備も140シリーズにおいて標準装備されました。
ボルボ140シリーズはフロントエンジン・リアホイールドライブという伝統的なレイアウトを採用していました。エンジンについては、当初アマゾンから受け継いだ、ツインキャブレター搭載の75hp-96hp(DIN)を発揮する1.8リッター4気筒B18エンジンが搭載されました。その後1969年モデルには82hp-100hp(DIN)を発揮する2リッターB20エンジンを搭載。1971モデルからは120hp(DIN)を生み出す電子制御燃料噴射のバージョンも採用されました。
1974年夏に142、144そして145の生産が終了しました。140シリーズの生産累計は1,251,371台に上り、ボルボ初のミリオンセラーモデルとなりました。ボルボを世界的な自動車ブランドとして押し上げるきっかけとなったのです。しかも140シリーズの栄光はそこに留まらず、1993年まで続くことになります。140シリーズの血統を受け継いだボルボ240シリーズは、19年間でなんと280万台を販売。ボルボ最大生産台数を誇るモデルとして大きな注目を集めました。
2015年のボルボ・カー・グループ
2015年の会計年度において、ボルボ・カー・グループは66億2,000万クローナ(2014年度は21億2,800万クローナ)の営業利益を計上しました。同年度の売上は1,640億4,300万クローナ(1,375億9,000万クローナ)でした。2015年度の世界販売台数は過去最高の50万3,127台に達し、2014年度と比較し8%増となりました。この史上最高の販売台数及び営業利益の実績により、ボルボ・カー・グループのグローバル改革プランへの投資は継続して実施されます。
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