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ボルボの名を一躍有名にしたモデル ボルボ850が発売されて25周年を迎える【ボルボ・カー・ジャパン】

2016年6月7日

ボルボ850はボルボのすべてを一新した車でした。この横置き直列5気筒エンジンを搭載した前輪駆動モデルは、ボルボはギャラクシープロジェクトのもとに産み出されました。このプロジェクトは、ボルボにとってスターとなるモデルの開発を目指していたことからそう名付けられたのです。850シリーズは、モータースポーツの世界でも大成功を収めた他、ボルボとしてはじめてAWD(全輪駆動システム)を搭載したモデルとなりました。

全く新しく生まれたボルボ850GLTは、ストックホルム・グローブ・アリーナで1991年6月11日にワールドプレミアを迎えました。このモデルは、スウェーデンで当時過去最大の投資の元に産み出され、それまでのボルボのデザインからは根本的に異なったものとなりました。前輪駆動に横置きの5気筒エンジンを搭載し、全く新しい次元のドライビングプレジャーを提供しました。



この新型車は、「4つの世界初を備えたダイナミックなクルマ」というキャッチコピーで発売開始されました。
4つの新しい特徴とは、横置き直列5気筒エンジン、ボルボ独自のデルタリンクリアアクスル、サイドインパクト・プロテクション・システム(SIPS)構造、そして自動調節式フロント・シートベルトです。

デザインこそ700シリーズを彷彿とさせるものではあったものの、この850シリーズは完全新設計の車でした。その開発のスタートは1978年にまで遡ります。その年に開催された会議の中で、今こそ自由に考え、自動車のスターとなる車種の開発を目指す時である、と決定されました。この計画はギャラクシープロジェクトと名付けられました。

ギャラクシープロジェクトは、2つのモデルシリーズを産み出しました。ひとつはスウェーデンで、もうひとつはオランダで開発・生産されました。そのベースとなるテクノロジーは共同開発され、その後それぞれに開発が進められました。オランダ企業であるボルボ・カーズB.V(後のネッドカー)は、400シリーズとなるモデルを開発し、スウェーデンのボルボ・カーズは、850シリーズを開発しました。

最初に発表されたモデルは、170馬力を生み出す20バルブ自然吸気エンジンを搭載したこの850GLTでした。ボルボは850GLTの開発時、吸気音と排気音を適正に保ちながらも、ドライビングプレジャーに富んだ、生き生きとした車にするべく積極的に研究を重ねました。

850シリーズの次の重要なバリエーションであるエステートモデルは、1993年2月に発表されました。850エステートは、積載量を最大化するための切り立ったリアデザインに代表される、典型的なボルボの特徴を兼ね揃えていました。しかしながら、新デザインの特徴の一つは、Dピラー全体を覆い尽くす縦長のテール・ライトでした。チーフデザイナーのヤン・ウィルスガールドは開発時、大きなテール・ライトの取り外しや交換ができるモデルをデザイン時の比較用として用意していました。このエステートは、イタリアの「最も美しいエステート」賞や日本の「1994年グッドデザイン大賞」と、立て続けに権威ある賞を受賞しました。

850シリーズは、すぐに様々なエンジンバリエーションを展開する形で拡大しました。後に最も人々の注目を集めることになるモデルは、1994年のジュネーブ・モーターショーで公開されました。人目を引くイエローに彩られたT-5Rは、まるで4つのホイールにエクスクラメーションマークが乗っているかのような注目を集めていました。このスペシャルモデルは、2500台限定で生産することが予定されていました。インタークーラーを搭載したターボエンジンは240馬力と330Nmのトルクを産み出しました。この車は、スペシャルデザインのスポイラー、角型のエキゾーストパイプ、そしてタイタンと名づけられた17インチアルミホイールを備えていました。イエローのボルボはわずか数週間の間に完売した為、同数のブラックカラーの車が生産され、最終的に、ダーク・グリーンのT-5Rが2500台追加生産されました。



また、1994年はきわめて注目を集めるような方法でボルボがレーストラックに回帰した年でもありました。2台の850レーシングカーが英国南部のスラクストン・サーキットで開幕戦のスタートラインについた時、それはなんとエステートモデルだったのです。ヨーロッパで最も権威あるツーリングカーシリーズである英国ツーリングカー選手権(BTCC)に「バン(ステーションワゴン)」で参戦したことで、絶大なる注目を集めました。ボルボは、トム・ウォーキンショー・レーシングをパートナーに多額の開発費を投じ、ドライバーにはスウェーデン人のリカルド・リデルとオランダ人のヤン・ラマースを擁しました。1995年、レギュレーション変更により、エステートモデルでの参戦が禁止されたため、ボルボは、サルーン・モデルへスイッチしました。そのシーズン、リカルド・リデルは選手権の総合成績で3位となりました。



当初から、ボルボ850シリーズはメディアから「世界で最も安全な車」と称され、1995年には、新たな世界初の安全装備をも生み出しました。ボルボ850は、サイドエアバックを搭載した世界初の量産車となりました。

850 AWD – 1996年に発売開始したAWD車はボルボにとって初の4輪駆動モデルとなりました。850 AWDはビスカスカップリングによって自動的に前輪から後輪にトルクを配分される、フルタイム4WD機構を備えていました。後輪の一つが空転を始めると、電子制御のTRACSアンチスピン・システムが作動し、フロントからリアのグリップがより大きいホイールに対して自動的にパワーを分散しました。850 AWDは193馬力を生み出す新開発のロープレッシャーターボエンジンを搭載し、ボルボの全輪駆動XCモデルの先駆けとなりました。

1996年という年は、850シリーズの最終年となりました。1997年には850シリーズに大幅な改良が施され、サルーンモデルはS70に、エステートモデルはV70へと名称も変更されました。850シリーズに端を発するモデルは累計1,360,522台製造されました。


2015年のボルボ・カー・グループ
2015年の会計年度において、ボルボ・カー・グループは66億2,000万クローナ(2014年度は21億2,800万クローナ)の営業利益を計上しました。同年度の売上は1,640億4,300万クローナ(1,375億9,000万クローナ)でした。2015年度の世界販売台数は過去最高の50万3,127台に達し、2014年度と比較し8%増となりました。この史上最高の販売台数及び営業利益の実績により、ボルボ・カー・グループのグローバル改革プランへの継続投資への道は開かれました。








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