最前線コラム

NVHシミュレータによる音響評価プロセスの実現【ブリュエル・ケアー・ジャパン】

よりよい生活環境の創造は、あらゆる製造業に課せられた課題のひとつである。ものが動くとき、そこには必ず音と振動が発生する。音環境を考えた場合、ひとつの実現例は静粛性の達成である。騒音環境下では、直接的には聴覚器の損傷、間接的には人の作業能力低下やストレスを引き起こす。それを取り除くことは常に求められており、実際、自動車の音は年々静かになっている。しかし、ただ静かな自動車ではブランドイメージを音で表現することは困難である。また、運転者にとって自分の操作の反応として返ってくる音の変化を感じられないことは、運転する喜びを低減してしまう。その一方で、エコが大きく掲げられ、燃費の向上が求められている。そのためには、自動車の軽量化がひとつの手段だが、これは静粛性とは相反する行為である。さらには、ハイブリッドカーや電気自動車など、これまでの内燃機関とはまったく異なる機構を持った自動車も開発され、すでに街を走り始めている。その場合の騒音は元来非常に小さく、静か過ぎる車に対する対策も検討されている。このように自動車の騒音振動を取り巻く環境は変化しているが、開発期間の短縮、コストの削減という命題は変わっていない。静粛性だけでなく、ブランドサウンドを短期間に検討、開発するために、新しいNVH評価の形が必要となっている。

これまでのNVH評価とNVHシミュレータ

従来、NVH(Noise, Vibration, Harshness)の評価は、以下のような方法が採られてきた。
・ 実際に評価車を運転し、体験
・ 任意の走行条件で収録したデータを再生、体験
・ 収録データを解析(周波数分析、メトリクスなど)これらの方法では、評価者にある程度の技量が求められ、評価に時間も要する。そのため、自動車走行時に乗車者が体験する音、振動をバーチャルに再現し、運転しながら体験できる環境の構築が求められる。このような環境を実現しているのがNVHシミュレータ(図1)である。データを収録した際の走行条件以外の状況でもそれに応じた音を再生し、自動車の運転と同じ操作でバーチャルに走行することができるため、一般ユーザーであっても容易に評価に参加することができる。必要な実測データも、従来の時刻歴データやFFT分析結果、次数スライスなどで特別な解析などは必要としない。このNVHシミュレータにより、NVHプロセスの改善を図ることが可能だと考える。

NVHシミュレータの使用プロセス

NVHシミュレータは、ソースデータとして実測のデータを用いるが、コンポーネント単位のCAEデータを持ち込むことも可能である。実測データには、車室内の任意の座席耳位置でのバイノーラル音やタイヤハブにおける振動加速度、タイヤのコンタクトパッチ近傍音、エンジン回転、車速が含まれる。これらのデータの精度は、NVHシミュレータ用モデルの精度に直結しているため、オーバーロード、アンダーレンジが起こり易い加速試験にも対応できる幅広いダイナミックレンジを持ったデータ収集ハードウェアが不可欠である。図2にその代表例を示す。これは、車載でコンパクトに計測できるため、計測準備、そして計測時間を短縮することが可能である。
計測された耳位置でのデータは、回転信号やリファレンス信号をもとに図3に示すレベルに応じて各成分に分離され、取り扱われる。レベル3の寄与レベル、レベル4の経路レベルのデータについては、従来行われている発生源経路寄与解析(SPCやTPAなど)のデータを利用する。


また、自動車の走行性能を示すパフォーマンスモデルの定義も必要となる。この走行性能と車室内での音はNVHシミュレータ上で自由に組み合わせることができ、音が運転に与える影響を評価することも可能である。
レベル1のデータ収集のみを目的としている場合には、バイノーラル収録に特化したPDAベースのSoNoScoutを利用することもできる(図4)。左右耳位置での音圧に加え、GPSによる車両位置と車速の記録、さらに、音から同定されたエンジン回転数を記録する。自動車に計測機器を設置する手間なく、すぐに計測を開始することが可能である。
NVHシミュレータの実運用については、NVHプロセスを図5に示すような5つのステップに分けて考える。

ステップ1:ベンチマーク車両を含む複数台のレベル1 データを収集し、NVH シミュレータ上で聞き比べる官能評価を一般ユーザー向けに実施し、顧客の嗜好を理解する。
ステップ2:レベル1のデータを使用してNVH シミュレータで自由走行しながら、リアルタイムフィルタを用いて走行音を編集し、車両のターゲット音を設定する。
ステップ3:プロジェクトマネージャからターゲット音の承認を得る際には、オンロードシミュレータを用いる。このオンロードシミュレータは、デスクトップ版のNVHシミュレータを走行可能な自動車に持ち込み、実際に走行しながらターゲット音の確認、修正を行うことができるものである。実車上でターゲットを体験することで、高い確信を持って承認することができる。
ステップ4:このターゲット音を実現すべく、レベル2以降のさらに詳細なデータを用いてターゲットを各コンポーネントの設計まで落とし込み、実現可能なターゲットを割り出す。
ステップ5 :ステップ4で割り出した実現可能なターゲット音を再度オンロードシミュレータで確認し、プロジェクトマネージャの最終承認を得る。 
このように、NVHシミュレータにより、実車プロトタイプなしに存在しない自動車の走行音を確認することができ、開発プロセスの早い段階で実際的なNVH開発に着手することができる。

次世代自動車開発への展望

従来のガソリンエンジンに替わり、ハイブリッドや電気、燃料電池自動車が台頭してくるに従い、NVHの問題も様変わりすることが考えられる。次世代自動車の多くは、もともと音が小さく、どのような音が乗車者にとって望まれているのかもまだ明確にはなっていない。このような自動車の走行音の設計にも、NVHシミュレータを最大限に活用し、運転する喜びをもたらす自動車の設計に貢献していきたいと考える。

[スペクトリス株式会社 ブリュエル・ケアー事業部 坂本優美子]


2010年5月1日発行
テスティングツール最前線2010より転載